推しと賞美

とにかく推しを褒めたい。

 

私の推しは顔がいい。美しい。美しさの中に可愛さもある。可愛さといっても純粋無垢な可愛さというよりは小悪魔っぽい可愛さであり、あざとく、したたか、それでいて人柄の良さも出ている。そして美しさを保つために努力もしている。美に余念がない。顔の良さはもって生まれた才能であり、その才能を怠ならない。素晴らしい。推せる。

 

そして推しはバラエティ力が高い。適応力が高く、何に対しても前のめりであり、誰に対しても怯まない。そして奇跡を生む。それで1度呼ばれたバラエティに2度3度と呼ばれていることが多々ある。爪痕を残し、次へ繋げる。最高だ。推せる。

 

推しの表現力はもっと評価されても良いと思う。歌を歌う推しは最高に可愛くて、それが可愛い曲であればあるほど推しは可愛くなる。可愛すぎて胸焼け胃もたれは避けられない。それほど可愛いのだ。可愛いだけではない。儚げなバラードでは完全にその世界に入り麗しい推しの誕生である。最高すぎる。推せる。

 

私の推しは自己プロデュース力が高い。自分のキャラクターを分かっていて、それを貫いて、最大限に活かしている。どこまでがキャラで、どこまでが素なのか正直私にも分からない。分からないほど徹底しているのだ。このポテンシャルの高さ、最高ではないか。

 

推しはその場で求められる可愛さや美しさを熟知していて発揮している。それは顔だけではない。表現、手先に至るまでの所作、全て。それでいて格好付けなきゃいけない時は格好良くなる。これがまたキマってしまうのだ。さっきまであんなに可愛かった推しがこんなに格好良くキマるものなのか不思議現象である。探偵もお手上げ状態、謎は全く解けない。

 

どの状態においても「推せる!」と思わせてくれる。 これほど最高なことがあるか。数年推しを推し続けて「ナニコレ幻滅〜」だの「やだショック〜」みたいなことを思ったことが1ミクロンもない。常に「推せる!」と思わせてくれる存在であり続けているのだ。これは私のオタクとしてのモチベーションが高いからといったくだらない理由ではない。推しのおかげだ。推しが努力して、頑張って、光り輝いているから、私は何の疑いもせずに推しを推し続けられる。最高。私の推し最高。

 

まだある。推しは天使だ。語彙力などない。私の推しは天使だ。私が死んだ魚のような目をして死んだような生活をしていたから生きる希望として舞い降りてきてくれたんだ。ありがとう推し。おかげで毎日楽しいです。これからもよろしくお願いします。

 

↓推し

 

2019年1月14日にナゴヤドームでライブするよ。

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